播州今昔物語 (順不同)

  • 播州織 (西脇市・多可町・加西市など)
    播州織は230年の歴史があり、世界中のスーパーブランドの生地もつくっています。
    一時期は日本の先染織物の70%をここで作っていました。
  • 道具金物 (三木市など)
    三木の道具金物はの日本最古の道具金物発祥といわれています。
  • そろばん (小野市など)
    小野のそろばんは日本で唯一の珠と竹ひごの生産地です。
  • 山田錦 (三木市・加東市など)
    数々の有名な日本酒(獺祭など)に使われている酒米の山田錦は、
    三木市や加東市を中心に作られています。
  • 神戸ビーフ
    神戸ビーフの過去最高落札価格の牛は西脇市の川岸畜産で育てられました。
  • ゴルフアイアン (市川町など)
    市川町は国産ゴルフアイアン製造の発祥地です。
    国内外の有名選手の使うクラブもここで作られています。
  • 鯛 (明石市周辺)
    明石の鯛は、明石海峡の自然の厳しい環境の中で身がひきしまり、さらに豊富な
    エサにも恵まれています。この環境が、明石鯛という日本一のブランドを育てました。
  • ローラー (加西市など)
    ベルトコンベヤのローラーの世界シェア60%を締めているのは加西市の会社です。
  • 革 (姫路市など)
    姫路革は世界のスーパーブランドにも使われています。
  • 揖保乃糸 (兵庫県手延素麺協同組合)
    手延そうめん「揖保乃糸」は、厳選した小麦と赤穂の塩を原料に、そうめん作りに適した
    豊かな気候風土に育まれてきました。およそ600年受け継がれる伝統の手延製法で、
    幾度も熟成を重ねながら、職人が丹精込めて作り上げた播州地方の名品です。
  • 明石だこ (明石市など)
    味の理由は、明石海峡の激しい潮流と豊富な餌!
    「明石だこ」は干しだこ、刺身、やわらか煮、天ぷら等様々な料理に用いられる関西の
    食文化には欠かせないもの!
  • 靴下 (加古川市など)
    特化した設備で特殊素材の使用にも力を注ぎ、健康、スポーツ、ファッションなど
    付加価値の高い商品開発をしています。 海外産地には真似のできない、質の高い
    生産力。
  • 醤油(たつの市など)
    醤油産業が盛んなことで知られる兵庫県・たつの市。その醤油は一般的に知られる
    「濃口」醤油とは違い、色がうすく、味が濃いことが特徴である「淡口」醤油です。
  • グローブ・手袋 (姫路市など)
    家庭用手袋や作業用・産業用手袋を製造。1954年、塩化ビニル樹脂製オール被膜
    タイプの手袋を世界で初めて開発。
  • かまぼこ (瀬戸内周辺)
    かまぼこの発祥地「兵庫県」 かまぼこは、魚を美味しく食べるための手段として
    日本で生まれた伝統製品のひとつです。
    その起源をたどっていくと、神戸の生田の社で、すりつぶした魚肉を鉾の先に塗り
    付けて焼いたものを食べたのが、かまぼこの始まりという伝説があります。
  • 焼きあなご (高砂など)
    焼きアナゴは、1905年(明治38)に高砂市の老舗商店の初代店主が日露戦争から
    復員してきて始めたという。
    兵庫県人にはウナギよりも愛されているアナゴ
  • 牡蠣 (赤穂、相生など)
    坂越湾は名水百選の一つ千種川の水と天然記念物生島樹林から注がれる
    栄養豊富な水とが育んだ豊かな海です。
  • ボルトナット (加古川市など)
    播州平野が瀬戸内海に接する姫路市白浜地区では、近世以来農業・鍛冶・塩田業
    などが行われ、鍛冶職人は、城の腰板などに使用する各種の曲がり釘や小釘を
    作っていた。
    明治期には、ふいご(鞴)と鍛冶道具を持つ彼らは、和釘の衰退に直面して船釘や
    鎖・錨(いかり)・リベット・ナットなどに活路を求めた。
  • 清酒(姫路市など)
    播磨は日本酒のふるさと。播磨地域は、江戸時代にはすでにブランドがあったほど酒米生産が盛んな地域で、近年においても「酒米の王様」と呼ばれる山田錦の誕生の地として、その生産量も日本一を誇っています。また、西播磨地域には、播磨五川に数えられる「市川」「夢前川」「揖保川」「千種川」などの清流が多く、鉄分が少なく質の良い伏流水に恵まれています。
    さらに、日本酒造りにおける長い歴史から、播磨杜氏(とうじ)と呼ばれる優れた技術者集団を多数輩出しており、江戸時代中期には全国にその名が知られるところでした。
    このように、銘醸地としての素質を持ち合わせた当地域では、地場産業として今日
  • 菓子(姫路市など)
    播州駄菓子とも呼ばれる姫路のかりんとう 河合寸翁が長崎の出島まで藩士を派遣して、ヨーロッパの油菓子の製造技術の習得を命じたことが、播州駄菓子の起こりです。かりんとうや油菓子などは駄菓子の部類に入り、庶民が日常的に食べる菓子です。また、上質の白い砂糖が使われ、公家などにも珍重されていました。